「な」の酒、「夏子物語」特別純米酒を入手した。

早速飲んでみる。
先ずは芳醇でふくよかな香りである。、
日本酒度は+3と云うことで、少々の辛口の筈であるが、喉越しも全くスムーズである。
どちらかと云うとワインを飲んでいるような感覚である。

恐らくはどんな料理にも合う優しい酒を目指したのであろう。

「夏子物語」であるから尾瀬あきら氏の漫画「夏子の酒」に関係するのであろうと銘柄を見た瞬間から思っていた。
やはり、漫画のモデルとなった酒蔵、新潟の長岡の「KSM酒造」の酒であった。

「夏子の酒」の物語がこの酒蔵で展開されたのであろうか?
興味のあるところである。

訪問して聞いて見たいところであるが、そう簡単に行けるところでは無い。
ネットと云うのは便利なものである。
探していると、長岡新聞の記者の方が、この酒蔵について詳しく書いている。

それを参考にさせて貰いながら話を進めてゆく。
漫画「夏子の酒」、結論から云うとフィクション物語と真実物語が半々ぐらいであろうか?

まずフィクションの部分である。
新たな酒造りを目指した「お兄さん」が志途中で亡くなられたことになっているが、そうではなく、立派に酒造りに成功されて、現在もこの蔵の社長である。

真実の部分である。
それは酒開発のプロセスであろう。
地道に努力を重ね、銘酒「亀の翁」の醸造に成功したというところである。

この機会であるので、この「KSM酒造」の経緯を辿ってみる。

「KSM酒造」は天保年間の創業である。
新潟の長岡市にあり、酒蔵の裏の鬱蒼とした杉林の中を伏流する名水と厳選された米を使い、造り酒屋として酒造りを180年もの間、継続してきた老舗である。

この酒蔵が転機を迎えるのは、婿養子に現社長NM氏を迎えてからである。
NM氏は神奈川県の生まれ、酒とは縁のない世界で育っていた。
大学時代にこの酒蔵の御嬢さんと知り合い、結婚と同時にこの酒蔵に入ったのであった。

当初は営業マンとして、東京で顧客を増やす活動をして、成果も上がった。
しかし日本酒の販売量はピークを過ぎ、酒蔵を今後どうして云ったら良いのか、あれこれ悩んでいた時、酒蔵の集会永六輔氏の講演を聞きいたのであった。

永六輔氏は、
「余計なことを覚えなくてもいい。たった一つ、これだけ覚えて帰ってください」
と語り掛けたと云う。

『 私がある日尊敬している先生を訪ねた時のことです。
先生から、
「よく来てくれたね。これを飲んでくれ」
と、並々と1升の酒をついだ大盃が出て来たんです。
私は酒は飲めませんし、その先生の目がご不自由であったこともあり、飲んだふりをし たんです。
すると、先生は、
「永さん、あんたが酒を飲めないのは良く知っているよ。日本酒というのはなァ、その土地の米と水と人情と自然が醸す風なのだから、その杯から渡ってくる風を飲めよ」
と言われたんです。 』

この話に感銘を受けたNM氏は「酒は風」を蔵のモットーとして、酒造りに気持ちが傾いて行くのである。

「亀の尾」という幻の米がある。
ちょうどそのころ、NM氏は蔵の杜氏から、
「私はいまなお、『亀の尾』に勝る吟醸酒をみたことがない」
と『亀の尾』を絶賛しているのを聞いた。
この話を聞いて、亀の尾に興味を持ち、何とかその酒を造りたいと情熱を傾けることになったのである。

NM氏は県の農業試験場に出向き、1500粒の種を譲り受け、翌年翌々年と育成し、3年後には4800kgの収穫となった。
その量は醸造に足りる量であるので、いよいよ杜氏・蔵人・社員たち一丸となって全力を集中し、「亀の翁」と云う吟醸酒を誕生させたのである。

他県の山形でも同様な発想で亀の尾にチャレンジした酒蔵がある。
KK酒造と云うが、ほぼ前後して亀の尾の酒を完成させたと云われている。

亀の尾という酒米は、粒が大きめであり、米粒の半分以上を精米で削る吟醸酒や大吟醸酒を造るのに適していたというラッキーな面もあったが、酒米としてはまだまだ未知の部分も多く、大きく化ける可能性も有りそうなので、全国の杜氏たちが興味を持って挑戦を始めたのであった。

「亀の尾」の酒を復活した物語が漫画『夏子の酒』として、尾瀬あきら氏の手で創作され世の中に出た。
またこの漫画が地酒ブームに火をつけることになった。

漫画家の尾瀬氏は、取材のために何度も何度も酒蔵に足を運んだと云われる。
当初は真剣な酒造りを「漫画にするなんて…」と難色を示していたNM氏も最後は尾瀬氏の熱心さに打たれ、打ち解けるようになったのであった。

そんな時、尾瀬氏から、
「おじさんが活躍する話では受けないので、悪いけれどマンガではNM専務は早々に死んでもらい、若い女の子を主人公にしたい」
と提案があった。
「それもいいでしょう。死にましょう」
と云うことで、夏子という妹が兄の遺志を継いで幻の米を復活させて酒を造る話になったのである。

幻の酒復活に情熱を燃やしながら夭折した兄を継いで、女性でありながらも明るく朗らかに酒造りに邁進し、ついに成功する夏子の物語が出来たのである。
この漫画は大反響呼びミリオンセラーとなり、そしてテレビドラマになったのは良くご存じのことであろう。

テレビドラマでは、酒蔵を中心として四季折々の越後路の風景の美しさが画面に溢れ、見るものの心を惹きつけ、酒ファンを増やしていったことは間違いがない。

「夏子の酒」の効果は、各地の酒蔵に酒造りの志願者が殺到したことや、ある酒蔵で女性の蔵人を2人募集したところ、300人の応募が殺到した、とも云われている。

このような現象を見てNM氏は、
「日本酒業界に少しは貢献出来たかな、と思っています」
と、控えめなコメントを述べている。

今回手に入った「夏子物語」は、その幻の米「亀の尾」から醸造された酒ではないが、酒蔵の人々や蔵元の醸し出す「風」が十二分に伝わって来る酒であった。

〔なノ酒 完〕