一口に大阪港と云ってもその実は広大なものである。

港区の天保山は明治期から安治川河口に開かれている港であるが、それを取り囲むように、南からは住之江区の南港、北からは此花区の北港が覆いかぶさっている。
その全体が大阪港である。
怪獣の口に例えるなら、横から見て、築港は小さなのどちんこにあたり、南港は下顎、北港は上顎に当たる。

天保山とは、先にウオッチングした安治川を少し遡ったところに築かれた波除(なみよけ)山の時代から100年以上も後に安治川河口に造られた山である。
天保年間に安治川に大型船舶を入れるために浚渫し、その残土を河口に積み上げ洪水防止用途とした山である。

そしてできた山は海抜約20m程度の高さがあり、安治川る船には目印となったので、当初は「目印山」と名付けられた。
葛飾北斎の絵画にこの目印山を描いたものも残っている。
それによると、海中の小島であることがわかる。

目印山は築かれた時の元号から、後に天保山と称されるようになった。
そして海岸べりには灯台が設けられ、山には松や桜の木が植えられて茶店なども置かれた。 当時は大坂でも有数の行楽地となったと云われている。

明治の中ごろからは本格的な公園として整備された。
港としても整備され、現在の港の形の原型が出来上がったものである。

このように最初の大阪港は天保山の地域のみであったが、その後埋め立てられた北港そして南港と大阪港はどんどんと広く大きくなっていったのであった。

北港の現在で良く知られているものは何を置いてもユニバーサルスタジオであろう。
また南港では、大阪府が移転を計画したWTCやATCであろうか?

今回は天保山と云われるその小さな築港地域をウオッチングしてみることにする。

天保山に行くには、大阪市営地下鉄「大阪港駅」で降りる。
降りないでそのままコスモスクエアに行き、ニュートラムに乗り換えると南港に至るが、今回はそこまでは行かない。

地下鉄を降りて先ず南の地区を見てみる。
住所は「築港」という。
駅を出ると直ぐに港商店街がある。
駅の南一帯の商店街であるが、辿りつつ適当な所で右折れして南へ向かう。

少し行くと広い道路に出る。
広い道路の左右を見渡してみる。
向かいに学校がある。
相撲の幟のようなものが立っているところがある。
(訪問は3月、春場所開催中の時)
まずそこへ行ってみよう。

その幟の場所は寺院であった。
築港高野山、釈迦院の寺名が掲げられている。
幟は「稀勢の里」、有名な力士である。
寺に入ってみよう。

鳴門部屋の合宿所であるらしい。
境内には土俵もしつらえられている。
合宿所のような建物も用意されている。
しかし力士は誰も出ていない。
静かである。
出払っているのであろうか?

寺務所へ行って、ご朱印を書いて頂いた。
このお寺、創建は明治末期である。
河内弘川寺(天智天皇の時代の創建)の塔頭「釈迦院」の寺号を、真言宗の開祖弘法大師が遣唐使として船出した旧跡に建てられたのがこの寺である。
真言宗の東の四天王寺、西の築港高野山と並び称され、賑わったと云われる。
当時は大伽藍であったが、築港の拡大と共に縮小され、その後米軍の空襲で全焼、再建するも阪神淡路大震災で本堂は倒壊寸前、現在のはその後に復興されたものである。

お寺を後に、その斜め前にある小学校の校門へ…。
築港小学校と云う。
塀伝いに歩く。
学校の東側に公園と、その奥に神社がある。

港住吉神社という。
この神社は大阪港に出入りする船の安全を守るために、元々は天保山の埠頭近くに祀られていたが、 現在はこの場所に移転している。
勿論のこと、いまなお海上 運送業の関係者や漁師の方々から深い信仰を受けている。

境内には、「塩魚」「干鰯」「うつぼ」「北組」「南組」などの石碑がある。
これは、この前ウオッチングした靱の永代浜の住吉神社を合祀したことにより、こちらに移設したものだそうである。

神社は綺麗な造りである。
住吉社であるので、朱塗りの社がひときわ映えていた。
ご朱印をお願いしたが、神官は留守とのことで、残念ながら諦めた次第である。

次はもっと南へ下がってみる。
レンガ倉庫が並んでいる。
井桁のマークがあるので住友関係の物であろう。
横浜のレンガ倉庫に比べると、どこかモッちゃりしている感じがする。
関西らしくて良いと思うが…。

今度は駅の北へ行ってみよう。
その前に駅の東側には大きな病院がある。
大阪船員保険病院という。
この病院の横を通り北へ向かった。
海岸通という地名の地域に入る。
実は先ほどの住友の倉庫も住所は海岸通である。
築港と云う地名を海岸通と云う地名が取り囲んでいるのがこの地域全体での特徴でもある。

突き当たりは天保山公園である。
公園の中を散策してみる。
中ほどに小高い丘も作られている。
その頂上から、天保山埠頭に停泊中の大型客船が見える。

船名は「AURORA」と書かれている。
大きさは分からないが高さは5~6階建てのビルぐらいはありそうである。
英国のクルーズ船だそうである。

港の周りには多くの外国人がいたのも頷ける。
ここからは観覧車も良く見える。
またその先には、天保山マーケットプレイス、そしてその先に「海遊館」もある。

更に公園を散策する。
標高4.53mの日本一低い山がある。
国土地理院が定めた二等三角点である。
登山証明書も頂けるそうであるが、それはまたの機会にしよう。

余談であるが、日本一低い山で思い出した。
それは香川県の東かがわ市の白鳥神社へ行った時のことである。
ここにも日本一低い山がある。
御山(みやま)と云い、神社の海側の公園状の境内の中にある。
標高3.6mの山であり、まだ国土地理院未公認とのことである。
神社では認定されることを目標にしていると云う。
訪問者には登山証明書を発行していて、小生もしっかり頂いたのであった。

実はこの神社に訪れた時、神主さんとしゃべっていて帰りの時間を気にしていたら、駅まで送ってあげるよ、と云って送っていただいた。
実にいい人である。
猪熊さんと云う創建以来の神主の御子孫であることも聞いた。
境内の外れには、現在は袂を分かっているらしいが、文化財の猪熊家住宅もある。

余談ついでに、この白鳥神社の由来は、
日本武尊(やまとたけるのみこと)が能褒野(のぼの:三重県亀山市)で戦死し葬られたのち、日本武尊の霊が白鳥となって飛び去り、この地に舞い降りた伝説である。
そしてこの地に降りた白鳥は間もなく死んだのだが、日本武尊の子である武鼓王が廟を建てて手厚く葬ったというのがこの神社の起こりである。

天保山の公園の東北の隅まで行ってみる。
広い安治川河口を挟んで向こうにユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)が見える。
先端には、渡し船の発着所「天保山渡船場」がある。
この渡し、30分毎に出発しているそうであるが、利用する人は沢山いるのであろうか?
前回来た時もここで人を見かけることはなかった。

最後に天保山マーケットプレイス、そしてその先の海遊館を外から眺めて、ウオッチングの終了とする。
このあとは、大阪港駅に戻るだけとなった。

天保山(てんぽうざん)は、江戸時代の天保(てんぽ)年間に安治川を浚渫して、その河口に築かれた山であったが、以降拡張され、現在のような街になったところである。

〔完〕