「せ」の駅は東北新幹線「仙台駅」を選んだ。
昨今、仙台に一週間ほど滞在したことがあって、その合間に周辺に出かけてみた。

仙台は伊達政宗が藩政を開いたのは良く知られている。
仙台には政宗や伊達家に関係した神社や寺院が数多くある。
今回はそのような神社を中心に絞って幾つかを訪れてみることにする。

しかし仙台駅から徒歩で行ける便利な所は殆どない。
自ずとJRの路線や地下鉄、バスを利用することになる。

先ずは「青葉神社」である。
山形へ向かうJR仙山線の電車に乗り、北仙台で下車する。
この駅には地下鉄も来ているので、どちらでも来ることができる。
駅から南西の方向へ歩く。
寺町の通りであろうか、山裾に寺が幾つかな並んでいるが、今回は無視して進む。
公園のようなところに突き当たる。
右手に神社の参道石段が登っている。

途中壊れた鳥居や倒れた燈籠が見られる。
今回の地震で倒壊したものであろうか?

本殿にお参りして、ご朱印を頂き、由緒書きを見てみる。
この神社は、武振彦命(たけふるひこのみこと)、神格化した伊達政宗を祀る神社である。
明治の時代に旧藩士らが中心になって創建したものである。
当時は、各県でも諸藩の藩祖を祀る神社の創建申請が相次いでいたと云われるが、その一つである。

境内には伊達家の家臣を祀る祖霊社もある。
かつては政宗の正室である愛姫(めごひめ)を祀る愛姫神社もあったが、現在は本殿に合祀されている。

神社を後に北仙台の駅に戻る。
仙台駅へ戻る電車を待ちながら駅内掲示の路線図を見ていると、隣に「東照宮」という駅があるではないか…。
これは行って見ないと…。
来た電車に乗って、隣の東照宮駅で降りたのであった。

駅の外へ出て、森の方向へ歩いてみると、東照宮らしき大きな鳥居が見える。
急ぎ足で行ってみた。
石段を上がると立派な随身門がある。重文だそうである。
本殿も立派である。これも重文である。
創建は仙台藩2代目伊達忠宗、政宗の息子である。

流石に伊達家である。徳川家を立派に立てているのが伺われる。

お参りしてご朱印を頂き、参道石段を降りる。
この参道の石燈籠も重文、正面の大鳥居も重文であるとの説明看板があった。
立派な神社であることは間違いがない。

次の空き時間、今度はバスである神社へ向かう。
仙台総鎮守「大崎八幡宮」である。
前回に2社回ったので、他にも伊達家に纏わる神社がありはしないかと、前回の帰りに駅の観光案内所に立ち寄って情報を仕入れた結果、ここに行くことにしたのである。

バス停は大崎八幡宮の真ん前にあった。
朱塗りの大きな鳥居がある。
石段が山に向けて続いている。途中には変わり種の燈籠もある。
さて、どんな神社であろうか?期待はできる。

石段は創建当時(江戸初期)からのものである。
この石段を登りきると次の鳥居がある。そして参道が奥まで続いている。
途中に社務所もある。

実はこの神社、伊達家の創建ではない。
もっと古い時代である。
平安の昔、東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請した。
その後、室町時代に奥州管領大崎氏が、これを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀し守護神として篤く崇敬し、大崎八幡宮と呼ばれた。

大崎氏の滅亡後、伊達政宗が居城のあった玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に祀ったと云われている。
以来、仙台六十二万石の総鎮守として伊達家の威風と遷宮当時の絢爛たる息吹とを今に伝えている神社である。
社殿は国宝である。その他重文や登録有形文化財もいくつかある見事な神社である。
八幡宮であるから祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后である。

お参りしてご朱印を頂き、バス停へ戻り次へ向かう。

仙台駅まで戻らずに途中の地下鉄駅で地下鉄に乗り換える。
「愛宕橋」で下車、そこから「愛宕神社」に向かって歩くことにする。
神社の山は眼前に見えている。100m足らずの山である。

佐藤宗幸の歌で有名な広瀬川の橋を渡り、神社の下の「太白区越路」という住宅地へ入って行く。
神社への登り口が分からない。
あっちこちした挙句、上を走っている高架道路へ登ってみた。
すると愛宕神社の案内が出ていた。
入口の鳥居がら長い坂道を登る。
かなり厳しい坂である。
ふうふう言いながらやっとのことで、神社の境内へ到着したのであった。

愛宕神社は、愛宕信仰にもとづく神社である。
この神社は、米沢にあった愛宕神社を、伊達政宗の移封とともに、まず岩出山へ、そして仙台へと移転したものである。
この神社も仙台総鎮守である。火防鎮護の神でもある。

ご朱印を書いて頂いた神官に尋ねてみた。
「神社裏にお寺があるようですけど、そこへ行ってそのまま下に降りられますか?」
「降りられるけど、仙台駅へ戻るなら、この神社に戻って元の道を降りたほうが早いですよ」
「そうですか。有難うございました」
と、裏のお堂へ向かったのであった。

その寺は大満寺と云う。虚空蔵堂(こくうぞうどう)が本堂である。
政宗が仙台に入府する前は、その青葉山にあったと云われる。
仙台城を築く際に、先ずは経ヶ峰に移され、そこが2代目宗忠の廟所となったため、この場所に移転させられたとのことである。
また梵鐘もある。この鐘は4代目綱村公の供養のためにこの寺に移され、以降、朝夕の時を告げる鐘として親しまれて来たとのことである。

神官の言葉に逆らい、寺の参道石段を降りてみた。
山の逆側へ出たようである。
バス停が見つかったので、20分ぐらいバスを待って、仙台駅に戻ったのであった。

次の神社へ出かけよう。
最後は駅から歩いて行ける「榴岡天満宮」である。
仙台駅の東側は広い綺麗な道路が通っている。
楽天イーグルスの本拠地「Kスタ宮城」へ向かう道である。
歩道上の柱と云う柱には「イーグルス、めざせ日本一」の旗が掛けられている。

暫く歩いて榴岡四丁目の交差点まできた。
この北東の一角に神社はある筈である。
路地を歩いて参道石段を見つけ、登って行ったのであった。

参道には句碑が並べられている。
芭蕉の奥の細道にゆかりがあるとのことである。
勿論のこと芭蕉の「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」という句碑もある。

この天満宮は、かつて平将春が福島県に勧請した天満宮をものを、数度の遷座を経て、3代の伊達綱宗公により、この榴ヶ岡に御遷座されたものである。
江戸中期の落雷により、本殿・拝殿・楼門・神楽殿・鳥居と多くの歴史的建造物を焼失してしまっている。
現在も本殿工事中で仮殿にしかお参りすることはできなかったが、その分2ページに渡るご朱印を頂き、神社を後に仙台駅へと向かったのであった。

途中、五重塔が見えたのでそこへ向かってみた。
塔は新しいそうであったが、そこは「孝勝寺(こうしょうじ)」と云う日蓮宗の寺院で、この寺に帰依していた2代藩主忠宗正室・振姫の法名「孝勝院」に因んでいるとのことであった。
尚、この振姫の母は家康の次女・督姫であり、振姫は徳川秀忠の養女となり、この伊達家に輿入れしている。

この仙台、どこへ行っても歴代伊達藩主に纏わっていたのであった。

〔せノ駅 完〕