「し」の駅はJR奈良線の「城陽(じょうよう)駅」を訪ねることにした。

いきなりの余談であるが、京阪奈地域のJR及び私鉄の路線名称はややこしい。
JR奈良線は「京都―奈良」を結び、近鉄奈良線は「大阪―奈良」を結ぶ。
一方、近鉄京都線は「京都―奈良」を結び、JR京都線及び阪急京都線は「大阪―京都」を結ぶと云う一貫性の無い名前の付け方である。
恐らくは、かつて主要となる駅から「〇〇へ行く路線」として名付けられたものであろうが、命名当時のその鉄道会社の営業の実態が分かって面白いものである。

さて城陽駅であるが、京都府の南部、京都市と奈良市の中間あたりから少し京都寄りにある駅である。
京都・奈良間には快速電車が走っているので、どちらからも比較的便利な所であるが、中々この沿線の人以外はこの路線には乗らないものでもある。

城陽市の城陽駅で下車した。
改札口は2階にある。比較的新しい駅である。
駅前はロータリーとなっていて、目に付く所に市の観光案内所があったので行ってみた。
この城陽というところは車では何度も通っているが、電車での訪問は初めてで、城陽駅の所在地がどこなのかも全く分かっていないからである。

地図を基にして、見どころの説明を受ける。
行って見たいところは2か所あった。
一つは「水渡(みと)神社」、もう一つは古代の政庁跡である。
先ずは近いと思われる神社の方から行ってみる。

駅から少し南へ下がる舗道を歩く。
歩道には「山型のマーク」が埋め込まれている。
これは古代の「山背(やましろ)古道」を示すマークである。
中世では「大和街道」と云い、歴史ある道である。
少し行くと左手に神社への道がある。

松並木が1km程度続く。参詣道であろうか歩道も整備されていて気持ちが良い。
山裾の鳥居を潜り緩やかな石段を登って行く。結構長い階段である。
背後の山は鴻巣(こうのす)山、古代から謂れのある山である。

神社境内に到着した。先ずはお参りである。

この神社は、奈良時代か平安時代初期の創建である。
祭神は天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)などである。
本殿は国の重要文化財に指定されている。
お参りを済まし、ご朱印を頂いた。

次の目的地「遺跡」ついて、駅前で貰った地図を見せて聞いてみた。
「ショウドウカンですね。それなら一旦駅まで戻って、駅から上がって行くのがベストですよ」
「住宅街の中を横滑りに行けませんか?」
「それは無理だと思いますけど…」
「分かりました。有難うございました」
このようなやりとりがあった。

しかし駅へ戻るのはあまりにも無駄が多いような気がする。
ダメもとで神社横の住宅街の中を歩き始めた。
途中に広い車道と交差する。その向こうにも住宅団地がある。
無理かな? と思いながら歩いていると、何やら広そうなところに出た。
何と「正道官衙(しょうどうかんがい)遺跡」の裏口の「南門」に出たのである。
南門は柱と梁が復元されている。
説明書きによると、この南門が奈良時代当時の正門だったと云うことらしい。

その場所から全体を見渡すことができる。
南門から真っ直ぐに道が通っている。
その先にこれも柱と梁が復元されている「庁屋」と云うのがある。
ここが役所の本館であったとのことである。
その他にも「東屋」「副屋」「向屋」とかの場所がコンクリート広場で示されている。

今の今まで知らなかったが、こんなところにこのようなものがあったのだと感慨深くした。

説明によると、この正道官衙遺跡は奈良時代の郡衙(ぐんが、役所)跡と推定されている。
さらに西には飛鳥時代の建物群跡も見つかっているとのことであった。
また東側には「正道廃寺」も見つかっているとのことである。

遺跡を後にして住宅街を降りて行く。
途中に城陽市立久世小学校と云うのがある。
この坂は鷺坂と云う。万葉集に詠われたとのことで、その歌碑も立っている。

そこに「久世(くぜ)神社」と云うのがある。
「久世廃寺」の跡らしく、国指定の史跡となっている。
久世神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る神社で、室町以前の創建であるとの説明もある。

境内は広く、辿って行くと乗って来たJR奈良線の線路も境内にあった。
その線路を横切り降りて行くと鳥居がある。
前の道は昔からの道、恐らく大和街道であろう。
この街道を北へ行けば平川廃寺跡があるらしいが、そこまでの元気は残っていない。

南へ取って、乗り慣れた近鉄京都線の「寺田駅」へと向かうことにしたのであった。

〔しノ駅 完〕