「久保田 萬寿」と云う酒、大変旨い酒である。
日本酒で最も旨い酒と云っても異論がある人は少ないであろう。

しかし値段もそれなりである。
今まで飲んできた酒の5倍程度の値段である。
旨いのは当たり前と云われればそれまでであるが…。

久保田萬寿を飲んでみた。
純米大吟醸である。
日本酒度+2.0、 酸度1.2、酒米は五百万石である。
ほのかな淡麗辛口の部類に入ると思うが、大変飲み易い。
そしてふくよかに旨い。
年に一度のご褒美の時位にしか飲めない酒であるのは残念である。

久保田を出荷する酒蔵は新潟県長岡市の「AS酒造」という。
創業は江戸時代の終盤の天保年間。
酒蔵の正面にある木曽義仲ゆかりの朝日神社に因み、蔵の名付けと酒銘「朝日山」を醸造・販売していた。
仕込み水もその神社の境内から涌く名水「宝水」で名酒を造り出していたのであった。

新潟には全国的に有名な酒が幾つかある。
当時「幻の酒」と人気を集める酒もあった。
それは「幻」だけあって常に品薄であり、なかなか客にその姿を見せるまでには至っていなかった。
しかしこのAS酒造はそれとは関係なく、販売量を増やすだけが目標の地味な酒蔵であった。
普通の酒蔵で終わるのか、突出した酒蔵を目指すのか、当時の社長は悩んだそうである。
今から30年ほど前のことである。

そして新潟県醸造試験場長であったS氏を工場長に迎え、この命題にチャレンジすることにした。
S氏は高品質な酒を「幻」にならないほどに供給し続けることができれば、必ずや成功するとの考えを基に取り組んだのであった。

その取り組みは、ターゲットを人口の多い東京のサラリーマンにしたことである。
頭脳労働が中心の彼らは、こってりしたものよりも、すっきり飲める飲み飽きしない淡麗な酒を好むと考え、それを目指したのであった。

その為にはそれ用の酒が要る。
創業当時の屋号「久保田屋」に立ち帰り、酒銘を久保田とし、百寿、千寿、萬寿、…、と開発を進めたのであった。
そして発売前のタンクには「東京X」と書いたのであった。

また、その久保田の品質やAS酒造の酒蔵の立地環境の良さなど、考えを一にして販売してくれる酒屋さんを増やす努力もした。
これが成功した。

今やどの酒販売店に行っても「久保田」のラベルが見られるようになったのである。

久保田の日というのがある。
10月23日である。
平成16年10月23日に発生した新潟県中越地震でAS酒造が大きな被害を受けた日である。
それは「久保田」の生産が止まった日であるが、復旧に手を尽くし、復興がなったのを記念している日である。

久保田と云う酒は、30年足らずの歴史しかない。
しかし今までの短期間の間に堂々と名酒の仲間入りをしてしまった。
それも新潟を代表する酒としてである。

その企業努力は計り知れないものがあると思われる。
因みに、AS酒造の売り上げは5年前で100億円弱、それはそれだが、何と営業利益は20億円強、素晴らしい数字である。
良い物をそれなりの価格で売ればこのようになるとの実証でもある。

〔くノ酒 完〕