「み」の駅は、ついでがあったので、その近くのJR仙石線「宮城野原駅」を選んだ。
今一番熱いプロ野球球団イーグルスの本拠地を一度見てみたいと思っていたからでもある。
この駅は仙台市の少し東にあるところである。

ご存じのように仙石線はこの前の大震災の影響で、高城町駅から陸前小野駅の間の運転が見合されていて、この間は代行バスで繋がれている線区である。
この路線には、多賀城跡、塩竃、松島など観光名所が多数あるところでもある。

仙台地下駅から仙石線の電車に乗って2駅目が宮城野原駅である。
宮城野原駅も地下駅で、構内はイーグルス色で満たされている。
また電車の発車メロディもイーグルス球団歌が流れる。
駅の階段を上がる時も出口もイーグルス一色の設えである。

出口を出ると直ぐに公園に入る。宮城野原運動公園と云う。
公園内の通路はまさに秋一色、そして綺麗に整備されている。

 

 

 

少し歩くと仙台市陸上競技場のスタンドの外周に到達する。
その周囲を回るように歩いて行くと、かつての宮城球場、現在の名をネーミングライツで「日本製紙クリネックススタジアム宮城」の正面に出る。

本拠地らしく楽天イーグルスの飾りつけはあるが、見た感じでは質素な造りである。
陸上競技場の方がしっかりした建物のように思える。

既に野球シーズンが終わった後なので、球場には入れない。
しかたがないので球場の周辺を時計回りに歩いて見ることにする。

先ずは三塁側内野スタンドの下である。
通路には屋台の店が沢山あるが、勿論、今は閉店である。
鉄骨が積み上げられた大きな仮設スタンドがある。
その下に「大鷲銀座」という屋台商店街も出来ている。
しかし人は誰もいない。

外野との境目に出る。ここにも両側に今度は工事現場で使われるような鉄パイプが組み合わされただけの仮設スタンドがある。
トータルで約5000人の観客数を増やす工事をしたと云われている。

鉄パイプや仮設スタンドは危険が伴うのではないかとの議論もあるが、それは愚論であろう。
専門の設計者が十二分に強度計算をした上での設計・建設であるからそれは大丈夫である。

外野後ろの真ん中まで来た。
スコアボードと大型ビジョンの背面が見えるが、それはあまり美しい物ではない。

外側には駐車場が広がっている。
何台入るのか分からないが、出るときの混雑が想像される。

球場を後に横の道路を渡る。
すこし東へ行くと、そこにはJR貨物の仙台貨物ターミナル駅がある。
またその前に大きな学校がある。私立の聖和学園高校である。
綺麗な学校である。

少し戻って、聖和学園の横を眺めながら今度は南へと行く。
この辺りの住所地は「若林区木ノ下」と云う。

そこには陸奥国分寺の跡がある。
広い境内で、現在はその一部分に薬師堂と准胝(じゅんてい)観音を祀るお堂がある。
薬師堂にお参りして、朱印を書いてくれた寺職の方に聞いて見た。

「広いですね…。どこまで広いんですか?」
「幾つかのお堂の礎石がありますよ。七重塔の礎石もあります」
「国分尼寺もありますか?」
「電車の線路を越えて、・・・・と行けばあります」
後程行って見ることにする。

この国分寺は奈良時代に聖武天皇の命にて各地に建てられたものの一つである陸奥国の国分寺である。
国府がある多賀城からやや離れた位置に建立されたのも特徴である。中心伽藍の敷地は2町四方で、南大門、中門、金堂、講堂、僧坊そして七重塔が備わった大伽藍であったと云われる。

室町時代には衰微したが、藩主伊達政宗が大規模な造営を行なったと云われる。

しかし明治以降は急激に衰退し、現在の形となっている。
尚、薬師堂は重要文化財に指定されている。
他には、鎮守の白山神社、檜皮葺の仁王門などが薬師堂と少し離れて残っている。
また、国分寺跡全体は国の史跡に指定されている。

国分寺跡を後に国分尼寺跡へと向かう。
しかしこれがまた遠い。
この道路の下では地下鉄工事がなされている。東西線である。
歩きにくいと云うのも合わさったが、教えられた通りに進み、やっとのことで到着したのであった。

国分尼寺跡は国分寺と同じころに建立されたが、前九年の役・後三年の役で荒廃、その後奥州藤原氏により復元されたが、鎌倉時代前夜の源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼす戦いで焼失し、再建はされなかったと説明されている。
ただし寺跡には現在は新たに現在の国分尼寺が設けられていて、境内に入らせて頂いたが、2階建ての本堂など、綺麗に整備されている。

国分尼寺を後に南にあるバス通りへ出て、大和町一丁目バス停から仙台駅へ戻ったのであった。

〔みノ駅 完〕