JR大阪環状線に大阪駅から内回りで3っ目に「西九条」という駅がある。
ユニバーサルスタジオに行くゆめ先線への乗換駅として良く知られているが、ここで下車することは一般的に少ない。

かなり前、入社してきた新人S君に「何処に住んでるの?」と聞いたことがある。
答えは「西区九条…」
「西九条か…」と安易に云ってしまった。
しかし突然「西区九条です。西九条とは違う」
と強い語調で云われ、何のことかわからず、一瞬戸惑ったと云う記憶がある。

当時は大阪の西部の辺りのことは良くは知らなかったが、そのうち西九条は此花区で、西区の九条とは異なる地域であると分かったのである。

この2つの地域が隣り合わせであることから九条と云う地域の分割であろうと思い、調べてみた。
するとこの地域を隔てている安治川に関係すると分かったのであった。

大川(旧淀川)が堂島川と土佐堀川に分かれ、また合流して大阪湾に注ぐが、当時はその河口に三角州である九条島という島が川を塞ぐように横たわっていて水運・治水に大いに問題があった。
江戸時代の初めに土木技術者河村瑞賢(ずいけん)が九条島の中に流れを通し安治川と命名した。
その結果、九条は分割され、川の西側は西九条と呼ばれるようになった。
旧河川の部分では新田開発がなされたが、明治以降は工業地帯へと変わっていた。
それが現在の九条と西九条である。

西九条で下車し、先ずは線路沿いに東北方向へ行ってみる。
暫く行くと「西九条神社」が住宅街の中にある。
元々は九条にある「茨住吉神社」の行宮であり、お渡りもあったが、戦後独立し西九条神社となった神社である。

神社を後に更に行く。
野田という住所地に入る。福島区である。
ここでUターンし、今度は違う道を戻る。
「西九条」という交差点に出る。
駅方向が左手に見えるが、駅へ行かないで駅と直角方向の道を辿る。

高校生風が沢山歩いている。
間もなく右手に「此花スポーツセンター」がある。
その先は「朝日橋公園」そしてその先には学校がある。
中高一貫校の「大阪市立咲くやこの花中・高」である。
5年前に合併・再編された学校である。
校舎も新しく現代的である。

学校の横にはゆめ咲き線のガードがある。
これを潜ると安治川に出るが、護岸壁が高くて川を眺めることができない。
暫くは安治川に沿って遡る。

大きな交差点に出る。
その上には阪神電車のなんば線が通っている。

その高架線路の手前の川縁に古い建物がある。
エレベーターがあり、自転車族が出て来たと思えば、こちらからも乗り込んでいる。
「安治川トンネル(北)」とある。
なるほど、安治川の向こうへ行けるのか?
早速次のタイミングでエレベーターに乗り込んだのであった。

地下へ降りるとトンネルがある。
綺麗なトンネルである。それに極めて涼しい。
歩いて見る。
真ん中あたりにガードマンが様子を見守っている。
「ご苦労様」
と声掛けして通り抜けた。

対岸のエレベーターに乗って、地上へと出てみる。

ここの住所地は「西区九条三丁目」と「西区安治川二丁目」、まさしく西区九条である。
護岸壁に登れるところがあったので安治川の上流下流を眺めて、トンネルへとUターンしたのであった。

先ほどのガードマンに、
「涼しいですね…」
と声掛けしたら、
「そうなんです。この辺りでは一番涼しい場所ですね」
と返って来た。

この安治川トンネルの場所は、元々、安治川の源兵衛渡しがあった場所である。
渡しは川を横切るので、頻繁に行き交う運搬船を避けて航行するのが難しくなってきていた。
そこで昭和初期に計画されたのがこのトンネルである。
日本初の沈埋工法によって建設され、当初は自動車も通行出来たとのことであるが、今は歩行者・自転車のみとなっている。
トンネルは川面から14m下にあり、幅約2m、長さ約80mである。

トンネルを後に、阪神なんば線の新しい高架脚に沿った道を西九条駅まで戻り、今度は阪神西九条駅から電車に乗り、西九条の探索は終了となったのであった。

〔にノ駅 完〕