「ち」の駅京阪本線の中書島駅を訪ねることにする。
中書島は伏見の街の南端にある京阪の特急も止まる駅で、名前は良く知られている。
しかし、伏見へ行くにはこの先の伏見桃山か丹波橋で下車するのが街中に近いので、観光にはあまり利用されない駅である。
この駅から支線の宇治線が出ているので、乗換駅として利用する人が多い駅であろうと思われる。

中書島と云うからにはかつては島であったのであろうか?
少し調べてみた。
秀吉が伏見城と伏見の街を築いたころは、この南を流れている宇治川も広く、この場所は川中の島であった。
秀吉の朝鮮攻めに前して、豊臣大名・脇坂安治が屋敷をこの川中島に建てた。
脇坂の役職は「中務少輔」、その唐名が「中書」であることから「中書さま」と呼ばれ、そのままこの島の名前になったと云われている。
現在も周囲は川幅は狭くなっているがその名残の川に囲まれているところが中書島である。

今までにこの駅で降りて伏見の街を訪ねることがなかったが、敢えて訪ねてみることにする。

駅を降りて線路を潜って南側へ行って見る。
宇治川との間に伏見港公園という大きな公園がある。
主には体育館、プール、テニスコート、相撲場などの体育公園である。
その先は京都の外環状線という道路で、更に先は宇治川の堤防となっている。

線路を潜り返し、今度は北へと向かう。
道路の左側に「長州藩邸跡」の石柱がある。

今度は右手に「伏見みなと公園」と書かれた門がある。
入ってみると綺麗に整備された公園となっている。

北側は濠川である。
この川岸が伏見港であった。
下流へ行けば宇治川を経由して淀川へと繋がっている。

公園の北側の濠川には「京橋」が架かっている。
橋の袂に「伏見口の戦い激戦地跡」と云う石碑が建っている。
戊辰戦争である。

川に沿って道を東へ辿る。
暫く行くと旅籠「寺田屋」がある。
坂本竜馬が襲われたところである。

 

 

 

寺田屋の先から濠川の橋を渡り返す。

渡って川の右岸を歩いてゆく。
川の反対側の左岸には綺麗な酒蔵が幾つか見える。
月桂冠の酒蔵である。

右手に長建寺がある。
八臂弁財天を祀る真言宗醍醐派の寺院である。
朱色の中国風の竜宮門、朱色の土塀の寺で日本式とは趣が変わっているが、かつてこの辺りは中書島遊郭であったと云うことから頷ける。
この辺りは中書島駅の東北方向である。

長建寺にお参りして、その先の橋を渡り返す。
橋には「十石舟」の幟が建っている。
橋の下の港から観光船が出るとのことである。

橋を渡ればそこは月桂冠の領域である。
博物館「大倉記念館」もある。
道路沿いにも、きれいな酒蔵の壁が並んでいる。

月桂冠の建物の間を歩く。
一本西の路地の月桂冠の社宅の裏に「土佐藩邸跡」の石柱が建っている。
その前を過ぎ今度は右折する。

先ほどの広い通りに戻ることになるが、出たところに「神聖」で知られる山本本家の酒蔵に出る。
その北に鳥料理で有名な居酒屋「鳥せい」がある。
その前を通り過ぎて、突き当りまで行く。
そこには「東本願寺伏見別院」があり門前には「会津藩駐屯地跡」の石柱が建っている。
何かキナ臭い雰囲気があるところである。

ここまで来たら戻る方向とする。
少し南へ下がって西へと行く。
左手に黄桜酒造の「カッパカントリー」への入口がある。
歩き疲れたので入ってみることにする。

綺麗なレストランとショップがある。
とりあえずレストランに座ろう。
美味い酒を一口頂くことにした。

呑んでホッコり、暫く寛いだのであった。
この黄桜を南へ抜けると、先ほど通った寺田屋の横に出る。
伏見の南地域を一周して、中書島駅周辺の旅は終了となった。

〔ちノ駅 完〕