「す」はこのシリーズ最後の節である。
最後に相応しいがどうか分からないが、JR東海道本線(神戸線)の住吉駅を選んだ。
神戸市の東灘区に「住吉駅」という名前の駅が3つある。
JRのこの駅とこれに隣接している神戸新交通株式会社の六甲アイランド線、愛称六甲ライナーの「住吉駅」、これらとかなり離れて阪神電車の「住吉駅」がある。

JR住吉駅で降りて駅の地図を見て、駅の南側を一周しようと云うルートに決定した。
駅の北口からスタートし西へ行く。
そして直ぐに線路を潜り、途中から東に向いて住吉川に出て、その川べりを南下し、阪神電車に突き当たったら西へ向かい、阪神の住吉駅をゴールとするルートである。

先ずは駅の西側の阿弥陀寺へ向かう。
震災で倒壊したのであろうか、寺門・本堂など洋風に一新された寺院である。
門前右には「住吉小学校、住吉村役場跡」の石碑がある。

 

そして左には谷崎潤一郎の歌碑が建てられている。
「故里の花に 心を残しつつ 立つやかすみの 菟原住吉 潤一郎」
と刻まれている。
菟原(うない)とは、芦屋から神戸の灘あたりにかけての旧地名である。

調べてみると太平洋戦争の末期、神戸の状況が危なくなってきたので、疎開のためにこの地を去る時の歌だそうである。
その後、一年足らずで神戸は大空襲を受けたのであったが…。

寺を後に電車のガードを潜り、南へ向かう。

右手直ぐに神社がある。
住吉の地名の由来となった「本(もと)住吉神社」である。
大阪の住吉大社とどのような関係があるのか興味が湧く。
お参りしてご朱印を頂き、書いてくれた神職の方に質問してみる。

この神社の由緒によると、神功皇后の三韓征伐からの帰途に船が進まなくなり、神託により住吉三神を祀ったとされる日本書紀記載の「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」の地がこの場所であるとのことである。

一方、大阪の住吉大社は「大津渟中倉之長峡」の地は大阪の住吉であると云っている。
さてどうなのか?これなら議論があるところであろう?
日本書紀も言い伝えの記載であるから、何とも言えない。
このように確定できない場所は邪馬台国を始め幾つかある。
それが歴史の面白さ、奥の深さであろうか?
ただ分かっているのは、本家が2つあるとのことである。
それはそれで良いのであろうと思う。

神職は、それよりも今はかつての本住吉神社の境内がどのように広がっていたかに興味があるようで、古地図を入手して研究しておられた。
六甲山中腹の住吉川の支流に奥宮があることから、そこまで境内はあったとなど、縷々説明頂いた。

神社を後にして、南へ向かう。
南へ向かう道は参道であろう、途中に「本住吉神社」という石柱があった。
そこから東へ向かう。
「住吉公園」という大きな公園がある。
スポーツ公園で、殆どがグラウンドである。
その一角で、ゲートボールであろうか、楽しんでいる一団も見られた。

道は急に登りとなり、住吉川に出た。
川べりを散策してみる。
川の左岸・東側に高い大きなネットが見える。
おそらくは学校であろう? そこまで行って見た。

灘中・灘高である。
有名大学への進学者を多く出すことで知られる関西の雄である。
この学校、近所の酒蔵、白鶴、菊正宗、櫻正宗の経営者が寄って創立した学校である。
正門から見ると玄関は歴史を感じるような建物である。
一方、グラウンドを見てみるとグリーン色で、人工芝が敷かれているようである。
「ホゥー」、何をかいわんや、という感じがする。

少し川を下って右岸・西側に「倚松庵(いしょうあん)」という邸宅を見つけた。
谷崎潤一郎が昭和の11年から7年間住んだ家とのことである。
谷崎は関東大震災の後、関西に住み住居を転々としたが、この地で落ち着いていた。
妹2人も同居していて、小説「細雪」は人も家もここを舞台に生まれたとの説明があった。
細雪は読んだと云う記憶のみ残っていて、話はもう忘れている。

拙作の別シリーズで大阪の道修町を訪れたことがあったが、そこを舞台にした「春琴抄」も谷崎の小説である。
こちらの方が印象深い。
盲目の女性三味線奏者「春琴」と丁稚「佐助」の物語である。
2人には子供も生まれたが結婚は許され無い。
それでも春琴の身の回りの世話を続ける佐助に、自分の盲目の顔が見られることを嫌がり近づけようとしなくなった春琴。
そこで佐助は自らの両眼を針で突き、盲目となって春琴に仕えるという物語で、谷崎の耽美主義と云われる物語の一つである。

川の反対側・東側は立派な松並木である。この黒松は東灘区の市民の木だそうである。
南へ下がると阪神の線路に行き当たった。駅もある。「魚崎駅」である。
ここから西へと進む。

途中の公園の一角に「雀の松原」という碑がある。
古代には「雀(ささい)の里」と呼ばれていて、広い松原があったそうである。
この名前、源平盛衰記にも記載があるとのことである。

更に西に進む。

公園がある。「東求女塚古墳(ひがしもとめづかこふん)」の公園である。
4世紀後半に造られた前方後円墳で、伝説話はあるものの、比定はこの辺りの豪族の墓とのことである。
後円の部分が盛り土として残っていて、頂上に石碑が建てられている。

住吉駅の近辺、この場所から南には酒蔵があり、その南には六甲アイランドと云う新しい街もある。

まだまだ、何かありそうであるが、阪神駅に到着したので、探訪を終了とした。

〔すノ駅 完〕