街道いろは探歩、埋もれた朱雀大路を訪ねてを終え、全四十七文字踏破となった。
先の「京阪奈いろは巡礼」に加えて2シリーズ目の完成である。

この街道シリーズは、元々は「京阪奈いろは街道」とタイトルを付していたものを引き継いだものなので、道の探索の範囲は京阪奈及びその近辺に絞られている。
その分、幾分かの無理もあった。

それは「いろは」のいくつかの文字には、街道を当て嵌めるのが困難なものがあったということである。
しかし、それでも兎に角、探した。
読者の方からもアドバイスをいただいたりした。
それでも見つけられず、その場合それなりの話題設定をして、探歩を続けた。

街道を歩いているうちに、街道や通りのネーミングにはいくつかのパターンがあることに気が付いた。
第一は「○○○へ行く」と云うパターン、
第二は「○○○という場所を通る」と云うパターン、
第三は「その道の状態を示す」というパターンである。
第四は「街道に愛称を付けた」と云うパターンである。
この四つに大きくは分類される。

その他にも「誰それが利用した」「その道の使用目的」なども挙げられる。
今回の街道探歩で無作為に選んで歩いた道を上記のパターンに分類してみた。

先ず第一の「○○○へ行く」である。
伊勢本街道は伊勢神宮へお参りする道、法隆寺街道は法隆寺へ、平安神宮道は平安神宮へ、愛宕街道は愛宕神社へ、東高野街道は高野山へ、それぞれその場所を最終の目的地とする道であり、神社仏閣を行先とする場合が多い。
47件の内、18件あった。
約38%である。

第二の「○○○という場所を通る」と云うパターンは、
竹内街道は竹内集落を通る道、歌姫街道は歌姫の住んでいた所を通る道、夷川通りは夷川を通過する道、毛利橋通りは途中に毛利橋を渡る道、と云う風にである。
47件の内、16件あった。
約34%である。

第三の「その道の状態を示す」と云うパターンは、
山の辺の道は山の際を通る道、寺町通りは寺町を通る道、御前通りは天満宮の門前の道、四条通は大通り四番目の道、と云う風にその土地のどのような場所にあるかに関係する。
47件の内、6件あった。
約13%である。

第四の「愛称を付けた」と云うのもいくつかある。
花見小路、レインボーロード、くらわんかストリート、さわらびの道、きぬかけの道と云う風にである。近年新しいく名付けられた道、開発された道はこのパターンが多い。
47件の内、7件ある。
約15%である。

物事の名付けにはそれなりの思いや理由があるのであろう。
貴宅の近辺の街道・通りはどのパターンに当て嵌まるのか、息抜きにそれを考えてみるのも一興かと思われる。

街道や通りは過去から、ヒトとヒト、ヒトとモノとが交流する必要性から発生し、整備されたものである。
そしてそれは人間が社会を構成して行く上で必要不可欠なものである。

近年は人間が直接動く道路交通以外にも、電話、ネットなど情報インフラにより交流が行える手段はできてきている。
しかし通信線では、時代は変わっても、人や物を運ぶことは不可能、それなりの文化しか生まれない。

営々として築かれて来た街道・通り・道を活用した社会を大切にしていきたいものである。

拙い文を最後までお読みいただいた方々に深く感謝を申し上げる。
またネタを見つけて、次のいろはシリーズにチャレンジしたいと思っている。

〔完〕