賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は京都の賀茂川と高野川が合流する三角形の地、糺(ただす)の森の中にあり、通常は下鴨神社と呼ばれる。

下鴨神社は紀元前から神様が祀られていたと社伝には書かれている。
糺の森からは、多くの弥生時代の住居跡や土器が発掘されていることもそれを裏付けているようである。
もちろん下鴨神社は、山城国一の宮で、今はやりの世界遺産でもある。

この下鴨神社の本殿に向かって右手に、井上社(ゐのうえやしろ)と云う末社がある。
文字通り井戸の上に祀られている社で、その井戸から湧き出る水が、祠前に御手洗池(みたらしいけ)を形作っている。
また、そこから流れ出る川は御手洗川と呼ばれている。

この井上社・御手洗池には、2つの特筆すべき事柄がある。

1つ目は賀茂祭(葵祭)である。

葵祭りのヒロインは斉王代と云う。
斉王とは時の天皇の内親王が神社の祭事を司る制度で、現在は関係者から選ばれた女性が斉王代を努めている。

十二単衣をまとい、禊の儀式をするのがこの御手洗池である。
女官役の女性達もきらびやかな平安時代の衣装で更に花を添える。
皐月の空の下、王朝絵巻はここから始まるのである。

もう一つは、みたらし団子の発祥の地である。

かつて、後醍醐天皇が下鴨神社へお参りした際、この池でお清めをした。
その時、大きな泡が一つ浮いて、その後、小さな泡が四つ浮いてきた。
「あぶくの大きなの一つ、 続いて、2つ、2つか
頭と、手と、足のようじゃ…。 水の中から、赤子が生まれて来るようじゃのう…」
「天子さま、その通りかと…。いい兆しでございまする」
天皇はもう一度やってみた。
同じようになった。
「このあぶくの形をご神前に供えてお参りしようぞ…、 用意せい!」

近習は早速、神社の大炊殿(台所)へ走った。
「帝の、ご命令じゃ! あぶくを作ってお供えする…」
「あぶくって、なんでござるか?」
「丸いものよ 大きめの一つと、小さめの四つ」
「丸めるのか? 団子か?生憎、木の実は無いぞよ 直ぐはできん」
「直ぐだ、任せたぞ…。 帝のご命令だ!」
まさに虎の威を借る狐、偉そうに云う。

当時、団子は木の実をすりつぶして丸めたものであった。
直ぐには、できる由もなかった。

困り果てた大炊殿の神官たち 帝のデザインにタテ付く訳には行かない。
新米の神官が言った。
「粉があればできそうでござる。いっそう米を粉にしたらどうじゃろうか?」

もともと食べ難いものを粉にするのが常道であるが、米を粉にするなんて、聞いたことがない。

しかし、無いものはしようがない。
「やってみるか? 臼を出せ~ィ!」

それから、いっときは掛かったが、団子はできた。
粉を水で溶いて丸めて、細い竹串を削って、4個続けてさして、少し空けて大きめ一個をさし、蒸し上げたのである。
確かに、あぶくの形はしていた。

恐る恐る、帝の御前に差し出した。

「なるほど、こういうもんじゃな 御手洗池のあぶくは…。団子じゃ、団子じゃ 御手洗団子と名付けるぞ」
この瞬間に「みたらし団子」という名ができたのである。

帝自ら神殿にお供えになったのであった。

頃は鎌倉末期から南北朝にかけての時代、ややこしい時代のことである。
神社のお供え物として、みたらし団子はスタートした。

みたらし団子という呼称、この時から何百年も続くとは、誰も考えていなかったに違いない。

室町時代になって、京都では神からの下がり物として、このみたらし団子を食するということになった。

本来味がないものである。
室町の御用達の菓子処、味を生醤油で付けて見た。
そう美味くはない。

冷たい団子に生醤油では、もう一つであった。
この団子を焼いてみた。
そして、醤油を付けた。かなり近づいた。

醤油の付け焼きをしてみた。
少し滲みて、香ばしい香りと味がした。
これで決まった。
仕上げに生醤油を付けて食べるて見ると、更に美味かった。

室町の食文化と云うことで、全国に広まって行ったのであった。

江戸時代に寛永通宝という四文銭ができた時、それまで一串五個五文で売っていた団子が一串四個になったそうである。
また、この四個をベースに自動団子製造機が作られ、四個が多く出回ったという話もある。

今の甘いみたらし団子が登場するのはまだまだ後である。
大正年間で、最近のことである。

その大正時代に、このみたらし団子のタレに甘みを付けた店があった。
下鴨神社の道一つ隔てた「加茂みたらし茶屋」のご主人であった。
程よい味付けにするのに、大変苦労したそうである。
下鴨神社へのお参りのついでに頂いたが、甘さ辛さが上手い具合にマッチしていた。
もちろん、1つあって、少し空けて4つの原型通りであった。
おまけに楊枝も添えられてあって、食べやすい。

それ以来、この甘辛みたらし団子はまたたく間に、全国に広がったという。

しかし、日本は広い。
生醤油だけのみたらし団子が好まれているところはある。
その代表は飛騨の高山。
高山のみたらし団子は、今でも香ばしい生醤油のみたらしであり、焼きたての美味しい団子がいただける店は沢山ある。

もう一つの話、京都の隣の大阪のこと…。
みたらし団子のタレを中に包んだものがある。
みたらし小餅と呼んでいる店もある。
これなら普通のお菓子のように食べられ、衣服や手、口も汚さない。
合理的である。

いずれにしても、ところ変われば品変わるであろうか?

以下、独り言…。
今の今まで、みたらしというのは、たれを団子にたらして食べるので、みたらしと云うのかと、思っていたが…。

「御手洗の  池にひとひら  浮き紅葉」

〔ゐノ段 完〕