レインボーロードは四国高松にある新しい街づくりの通りの名称である。
北端の高松港からかつて高松空港があった平野部の跡地に通じている南北の直線道路の南の部分を云う。
その直線道路の北の部分は長尾街道と云い、途中で折れて、四国八十八か所、八十七番の長尾寺がある長尾町に通じている。

「れ」を頭文字にする街道探しに苦労していたところ、偶然にもこの通りの近くで仕事をする機会があった。
それ幸いに、今回は京阪奈枠外の出張街道と云うことにして、この道路を探索した。

高松市は中世なる過去からの歴史が数多くある町である。

源平合戦の折には、この讃岐の屋島や壇ノ浦で、戦いが演じられたことは良く知られている。
戦国時代末期には豊臣大名・生駒親正が封じられ、玉藻浦に居城を築き、高松城と名付けたことが、この町の名の起こりでもあると云われている。

また、江戸初期には水戸黄門の兄、松平頼重が初代高松藩大名として、四国一円の監察のために封じられ、爾来、江戸末期まで統治した。

明治期の後半になって、本州岡山の宇野とこの高松の間に連絡船が開通した。
四国の玄関口として、更に近代化の歩みを続けて来た町である。

レインボーロードはその松平氏が作った広大な庭園・栗林公園の東2Km位の長尾街道が東に方向を変えるところ、上福岡町の交差点から南進する。
交差点近くには市立の玉藻中学校と云うのがある。
黄門違いの校門前をスタートにして、レインボーロードの探索をすることにする。

暫く南進して、JR高徳線のガードを潜る。
この辺りは田畑と住宅地が混在するところで、既に郊外である。
更に南進すると、大型の電器店やらファーストフードの店が目立つようになった。

松縄という交差点の向こうに、熊野神社と云う由緒ありそうな神社がある。
立ち寄ってお参りし、少し調べて見る。

熊野神社はその名の通り、紀州の熊野清光が鎌倉時代にこの地に移り住み、熊野の新宮・本宮・那智三社を勧請して、三ヶ所に神社を造営した。
それが近世の大正六年に、この地に合祀され、一つになったと云われている。

またこの地は、松縄城跡と推測され、代々宮脇氏が居城したと云う。
宮脇氏は紀伊熊野の海賊の子孫とも伝えられている。

通りを先に進める。

ラジオ送信所らしいアンテナが見える。
近づいてみると、NHK高松放送局のラジオ放送のアンテナだった。
アンテナの近くに美味しそうなラーメン屋さん「U」も見えるが、パスである。

先程の熊野神社辺りから、レインボーロードには色んな店舗が両側に並ぶ。
良く知っている全国的なチェーン店も目立つ。
今はどこへ行っても同じような光景に見舞われる。
どこの街にいるのか分からなくなるようなこともある。

更に南に進む。
広い道路のエリアが開けて来る。
中央と両脇に植樹がされている綺麗なエリアである。
ここら辺りがレインボーロードの中心街らしい。

中四国の大手のTM屋のショッピングセンターがある。
日本最大の電器の量販店、Y電機の店舗もある。
その他スポーツショップや、ジムのようなものもある。
綺麗に整備されたところである。

高松市によると、この地域を水と木々と花に囲まれた「光のプロムナード」「水のプロムナード」「花のプロムナード」「風のプロムナード」と、4つのゾーンに分けて、特徴のある歩行者空間を作ったと云うことである。

しかし、郊外であり、電車駅からもかなり遠い。
訪問者は車で来るしかない。
のんびりと歩くのかどうか? それは成功しているのか?
歩いただけでは分からなかった。

綺麗なプロムナードは南の高速道路のところで終わる。
更に南下する。
大型の店舗が相変わらず続く。
左側に大きな病院が現れ、右側に高校のグラウンド・校舎が現れたところで、レインボーロードは大きな道に突き当たり、終点となる。

このレインボーロードが突き当たった道がサンシャイン通りである。
この道を左へとると、高松空港の跡地へと入って行くのである。

左へ行く前に道の裏側を覗いて見た。
木立の中に何かありそうであったからである。

細い道を歩いた。突如、長い参道と鳥居が現れた。
石柱には「櫻木神社」の社名が入っている。

調べてみると、平安時代の仁和年間の創建で、応神天皇、神功皇后、玉依姫命を祭神としている。
櫻井八幡神社とも云われたと云う。

ここの森全体は香川県の自然記念物に指定されていて、クロガネモチ、ホルトノキ、クスノキ等がある。
中でも、ウバメガシは幹囲が270cmもあり、県下有数の大木であるとされている。

いよいよ空港跡地を目指して、サンシャイン通りを歩く。
まだ更地の部分も多いが、国や県や民間の施設が並んでいる。
右手前から、香川大学工学部、県立図書館、香川県の産業関連のセンター、独法の産業技術総合研究所、そしてその向こうは民間の研究施設である。

左側は奥から民間の研究施設に続いて展示会場にもなる香川県産業交流センター(サンメッセ香川)、老健施設、そして大学前にはセルフの讃岐うどん店も開業している。

私ごとではあるが、先年このサンメッセで仕事をさせて頂いたので、感慨深く内部施設を見学してきた次第でもある。
当日はブランド物の展示会が開催されていた。小生には関係いなさそうなのでその見学は割愛させて頂いた。

さて話は旧高松空港のことである。

元々は太平洋戦争時の終戦の前年に設置された軍用飛行場であった。
終戦後、米軍に接収されたが、1952年サンフランシスコ講話条約により、接収が解かれ返還された。
返還後、一部は農地等活用されたが、一部は大阪伊丹から民間の航空機などが飛来する高松空港として整備された。

しかし、滑走路が短かく、ジェット時代には即応しないことや、市街地・畑地に隣接していることなどの問題が有ったため、1989年までの30年強の間、使用されたものの、新空港とって代わられたのであった。

ちなみに新空港はここから10Km程南の高台、香南町に建設され、現在ももちろん運用されている。

跡地は高松市の中心部近くに位置する立地条件を活かし、将来に向けて香川県の産業の飛躍的発展や文化の振興を図るための拠点とするということで、その後、香川県が国から用地を取得して、技術・情報・文化の複合拠点として「香川インテリジェントパーク」の整備が進められたのであった。

しかし、昨今の経済状況から、この手の計画は計画半ばにして暗礁にり上げているも場合も多い。
香川県の進み具合はどうだったのだろうか?

この場所は交通機関が貧弱なため、最も近いコトデンの駅から実験的に循環バスを走らせて便利にはしてきている。
しかし、その利用状況も少しは気にはなる。

レインボーロードとサンシャイン通り、名前のような興隆を期待して止まない。

「雨上がり 虹の街には 人集う  陽ふり注ぎて 技術も栄え」

〔完〕