「ま」の付く街道、今回は大阪市の南北の通り、松屋町筋である。
大阪の人はよく「まっちゃまち」と云う。
何か愛嬌がありそうな通りである。

松屋町筋は北は大川のほとり、天神橋の南詰から始まる。
天神橋の向こう北側は天神橋筋、全国一長い天神橋商店街も並行している。
橋を渡って商店街を右に外れると、大阪天満宮がある。
大阪の天神さんの代表である。

折しも今日25日は、天神さん菅原道真の月命日、天神祭が賑やかに行なわれる筈である。
ハイライトは大川に船を浮かべての船渡御であろうか…?
観覧用の船も繰り出して、船上では「飲めや飲めや」の大騒ぎ…。
全くもって大阪らしい、賑やかな祭りである。

天神橋の向こうはこれくらいにして、松屋町筋を歩こう…。
スタートは天神橋南詰の土佐堀通りとの交差点である。
交差点を渡った直ぐ左側角は日本郵便の大阪支店であるが、江戸時代は紀州藩邸があったところである。

御三家の紀州の殿様が、参勤交代の折に立ち寄っては、旅装と隊列を整えたところであった。
なぜここに紀州藩邸があったのか、街道旅を続けていくうちに分かって来るであろうと考えている。
ヒントはこの藩邸の西、東横堀川に掛かる高麗橋である。
『大阪でのビジネスは、高麗橋で始めたら成功する』と云われたりもする。
また次の機会に探訪してみたい。

松屋町筋を南へ進む。
このあたりは取り立てて特徴のあるところでは無い。
ビジネスのビルがあるかと思えばその隣はマンションだったり、食べ物屋さんだったり…。
暫くはこの状態が続く。

何もない間にもう少し位置関係を説明しておこう…。
この松屋町筋の東には大阪城がある。
そして城は上町台地に建っている。
上町台地は大阪城から南の天王寺あたりまで、ずっと繋がっている。
この松屋町筋から東へ歩くと、この台地への上り坂となっている。

また、松屋町筋の直ぐ西には東横堀川が流れている。
この川は大坂城の外堀として機能していたものである。
現在はこの川の上を塞ぐように高速道路が走っていて、景色は極めて悪い。
この川は南へ下って、千日前の手前で東西に流れる道頓堀川に変身する。
このような位置関係である。

少し南へ下がっていくと大手通りと交差する。
大坂城の大手門へ通ずる道である。
更に下がると、大坂西町奉行所の址とか貿易学校の発祥の地の石碑がある。
この辺りは本町橋と云うところである。
そのすぐ南に大阪商工会議所の建物とその手前に大きな展示場マイドーム大阪がある。
このあたりがこの筋の唯一の公的な部分かと思われる。

更に南下する。
大阪市内を東西に横切る一般道・高架高速道の中央大通りと交差する。
松屋町筋との交差点は農人橋という。
この交差点を過ぎて少し行って、内久宝寺町に入ると、いよいよ「まっちゃまち」らしくなってくる。

「まっちゃまち」らしいとは何か?
それは人形問屋の街であり、シーズンになるとよくテレビのCMに登場するからである。
この辺りに来ると歩道に庇が設けられている。
そして「まっちゃまち」と庇の端には書かれている。
店々を眺めながら進む。
そのCMで頭にこびりついている店もいくつか見られる。
「まっちゃまちの○○屋、にんぎょとゆいの・・」という風にである。

これらCMの店は別として、ほかにも多くの店がある。
店の表口から眺めると、店の中には人形は見当たらない。
表に幟があるように、今は花火が店内に所狭しと並んでいる。

それはそうであろう…。
人形は、雛人形と五月人形、正月前から売るとしても、後の半年は別の物を売らなければ、商売にならない。
それが花火であろう…。
花火が終わったらその次は、何で埋めるのか?
その時にまた見てみたいものである。

更に南に進んで東西の通り長堀通りと交差する交差点「松屋町」あたりになると、人形の店は皆無となる。
長堀通りは長堀川を埋め立てて造った通りである。
この通りとすぐ南の空堀通りあたりが、かつての大坂城の南の外堀であったと推察される。

ここから東の玉造辺あたりまで足を延ばせば上町台地の上に、真田幸村の真田丸、細川ガラシャが住んだ屋敷跡にあるガラシャ井戸、それにカソリックの教会などが見られる筈だが、まだまだ先があるので横道には逸れないことにする。

長堀通りを過ぎて南に向かう。
あまり特徴のない、大阪としては普通の風景である。
千日前の通りまで一気に歩を進めた。
ここの交差点を「下寺町」と云う。

この交差点の東南角に「生國魂(いくたま)神社参道」という看板と鳥居がある。
神社への裏参道である。

この生國魂神社、近松門左衛門の浄瑠璃「曾根崎心中」にも描かれている。
お初と徳兵衛、徳兵衛とワルの九平次が出会い、金を貸した方の徳兵衛が詐欺師呼ばわりされる場面である。
お参りをして行きたいが、雨も降っているし、先を急ぐためパスすることにした。

この生國魂神社裏あたりから、道路の景観は一変する。寺院群である。
道の左側、東側はずうっと寺院が並んでいる。
30寺くらいはある。
見るところ浄土宗の寺院である。
順番にお参りできたら良いがそうもいかない。

特徴のある寺院、事柄などを紹介するに留める。

北から行くと、まず「大蓮寺」、比較的新しい「吉本芸人塚」が境内にある。
次に生玉公園入り口、生國魂神社の裏にある公園への登り口である。
そして源聖寺坂、入口にこの名の寺があるのでこう名付けられているが、
坂の途中の銀山寺には近松浄瑠璃「心中宵庚申」のお千代・半兵衛の比翼塚がある。

更に進むと、新撰組大坂旅宿跡、夕陽丘学園に至る学園坂、道の起伏が口縄(蛇)のように見えることからと名付けられた口縄坂がある。
これらの坂を登って行くと、上町台地の上を通っている谷町筋へと出る。

続いて東儀一族の墓所。
東儀一族は渡来人、秦河勝の一族で、四天王寺の楽所に所属していた雅楽の家系である。
徳川家光にも認められ幕府の楽人ともなっている。
また明治初期には太政官雅楽局に召集され、大部分が東京に移住したとされているが、墓所はこのゆかりの地にある。

更に行くと、人形浄瑠璃・文楽座の始祖で文楽の創業者である植村文楽軒の墓所もある。

これらのことへの憧憬の深い方には、故人たちの偉業を偲ぶ場であろうか?

そうこうしているうちに寺院群も終りになった。
右手に通天閣が見え出した。松屋町筋もほぼ終わりに近くなったのであろうか?

寺院群が終わりになると、今度はバイクの販売店群である。
道の両側に、10件程度並んでいる。
レンタカーならぬレンタバイクを営業している店もあった。

ここを過ぎて少し登りになると、東西の通り国道25号線と交差する。
松屋町筋はここで終わりかと思いきや、道は細くはなるが、まだ奥へと続いている。
行けるところまで行ってみよう…。
雨が激しくなってきたが、最後まで詰めることにした。

道は舗装はされているが、何だかわからない林の中に入っていく。
ただし、寺院やら施設やらはある。
道の途中に車止めがあって、歩行者の専用道路となっている。
暫くは林の中を歩く。
突然、知ってる場所に出た。

左手の階段の上、大阪市立美術館いわゆる天王寺美術館、
さらには茶臼山に繋がる。
右手、橋を渡って、天王寺動物園、新世界・通天閣に繋がる。

ははァ~ん。ここに出るのか…。知らなかったなァ…。
しかし知ってる場所に出て、ほっとしたのも事実であった。
そこから公園の中をもう少し歩いて、天王寺の駅前に出たのであった。

歩いてきた松屋町筋、上町台地の西裾の道である。
大川から茶臼山まで、大坂の陣が激しく戦われた戦場であったのでもある。
道の終点は、真田幸村が徳川軍に倒された野外戦終了の場所でもあった。

松屋町筋、天神橋から出発して、天王寺を終点とする。
「天」と「天」をつなぐ道であったのである。

〔完〕