いろは巡礼の発願にあたり、八幡市の石清水八幡宮への祈願の参拝をした。

石清水八幡宮は京都三川(木津川、鴨川、桂川)が合流するその付け根、大阪との境の男山という小高い山の頂上にある。

その合流点の向こうには、合戦で有名な天王山が間近にあり、大阪から京都へ向かう関門となっている。

この八幡宮、平安建都の後、清和天皇の命により建立され、京都の南西の裏鬼門を守護する神とされた。
また水運要路の神として、行きかう舟を守り、皇室始め源氏を始祖とする征夷大将軍の武家にも、氏神として信仰篤かったようである。

この石清水、1000年もの長きに渡り都のありようを眺めて来たのであった。

さて、兼好法師の「徒然草第52段」

『仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、
ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。
極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、
「年比思ひつること、果し侍りぬ。
聞きしにも過ぎて尊くこそ おはしけれ。
そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、
何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ
本意なれと思ひて、山までは見ず」
とぞ言ひける。

少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。』

との、逸話まである石清水である。

かつては、エッチラ、オッチラ、小一時間かけて山登り参拝したが、今は京阪電車がケーブルカーも敷設してスイスイと…。
車道も完備していて、車でも登れる…。

勝手知ったる石清水、いろは巡礼の完遂を祈願、ご朱印を頂いて来た。

もう一つ、ここには、発明王エジソンを記念した「エジソン記念碑」がある。
エジソンは、白熱電球の発明に、点灯部のフィラメントとして、八幡の竹を使ったという話しである。
技術開発の先達である

八幡にまつわる失敗例と成功例、いずれにしても、先達はあらま欲しきことなりである。

「石清水 行く先照らす 灯りかな」

いの段、もう一つは拙宅から歩いても行ける「一休寺」である。

京都大徳寺の高僧、一休禅師の隠居所・墓所で、本当は「酬恩庵」と云う。
いっきゅうさん 一時、テレビマンガもあった。
あのとんちで有名な一休さんである。
足利将軍も出てくるアニメ…、ここは室町時代の建立である。

総門も中門も人3人位がやっと通れる隠居所に相応しい小ぶりである。
総門を入って突き当たり左手が浴室、右折するとすぐ右手が一休禅師の墓所、菊のご紋がはめ込んであり、宮内庁の管理下となっている。
一休禅師は、後小松天皇のご子息と云われているのがその理由であろう。

苔むした参道を行くと、中門その向こうが本堂、右手が開山堂、左手が鐘楼、青葉がうっそうとしたお寺の部分である。
本堂の後ろに一休禅師像、その先に少年一休像(やっぱり帚を持っている)
花の時期や紅葉の時期は綺麗であろうなァ…と、思いつつ…。

さて、隠居所は本堂へ行くまでの、右手の門をくぐったところから階段を下りて…。

庫裏入り口で履物を脱いで、右手が方丈。
丁度檀家の方の法事があったようで、職員は忙しそうである。

方丈庭園に出ると白砂の枯山水  墓所、虎丘庵、それに裏山を借景に実にシンプルである。
庭の反対側の方丈座敷には一休禅師座像がずっとこの庭を眺めていらっしゃる。

ただし、ここは、比叡山も見える一等地であるのに、何故か京都に背を向けている。
これは謎である。
もっと、調べて見なければ…。

「一休さん 都背にして 何思う」

もう一つ一休さん考案の一休寺納豆、今も住職さんが一年かけて天日発酵させているそうである。
黒い納豆が出来上がっていた。
適度にしょっぱくて、呑み助には最高であろう。

〔いの段 完〕