京都から奈良へ至る道を奈良街道という。
かつては、伏見街道や竹田街道で京を抜け、宇治、城陽から山背(やましろ)古道を通り、木津から奈良坂を越え、奈良へ至る道の集合街道である。

現在は木津川土手を通る国道24号線を奈良街道といい、交通量が多い道路と
なっている。

奈良街道は平坦な道を南下する。
かつて木材の集散地として栄えていた木津の街を過ぎると上り坂となる。
大した上りではないが、これを奈良坂といい、越えて行くと奈良大仏がある東大寺転害門、奈良の都の一条通りに至る。

この坂の頂上付近右奥に、国宝の楼門がある般若(はんにゃ)寺がある。
この楼門は現在は裏通りの道路沿いに、何の飾りもなく建っているので、本当に国宝?と思ってしまうほどさり気ない風である。
しかしながら、よく見ると天竺様の威風堂々とした建築である。

この般若寺には、この楼門の他に、本堂、経蔵、十三重の石塔など、そんなに広い寺ではないが、重文がめじろ押しである。
ついつい見入ってしまう。

また、この寺は「コスモス寺」の名前でもよく知られている。
秋のシーズンになると可愛い花々が秋風に吹かれ、堂宇・石塔とマッチして、素晴らしいハーモニーを奏でてくれる。

この般若寺、真言宗智山派の寺院で開山は飛鳥時代、高句麗から来た僧の手によるものだそうである。
後に聖武天皇が、都の北東の鬼門にあたるこの寺に伽藍を建立し、十三重石塔を建てて、天皇自筆の大般若経を安置したと云われる。
本尊は智慧の文殊菩薩である。

この般若寺、奈良への入口にあたり、奈良街道の要衝に位置するため、平家・平重衡の奈良焼き討ちなど度々の兵火や天災にみまわれ、伽藍の多くを失ったと云う。

また当時は多くの学僧を抱える寺であったそうである。
焼き討ちでは、千人もいた学僧達をも失ったと云う。

その後、鎌倉時代に西大寺の僧・叡尊によって再建されたのであったが、室町時代、戦国時代にも兵火を被り、本尊並びに主要伽藍を失ったと云われる。

その中には、東大寺大仏殿の戦いもあった。
三好一族の内紛に加担し、近くの多聞山城に籠った松永久秀と、東大寺に籠った筒井氏との戦いの兵火によって、主要伽藍を焼失したことも含まれる。
この話は別のところで触れているので、省略させて頂く。

また、慶長の大地震により大石塔が上三重目まで墜落したそうである。
しかし、江戸時代には「御朱印寺」として法灯を保ち続けたと云われる。

明治になって、廃仏毀釈により大被害を受けたそうである。
新政府の上知令により境内地が3万6千坪から2千5百坪に減らされている。
10分の1以下に減らされたのであった。
人災であろう…。
新政府を恨んでいる関係者の方は多かったであろう…。

さて般若寺を訪れたついでに、般若という言葉について考えてみる。
「般若」とは何であろうか?

般若の面?「嫉妬や恨みのこもる女の顔」としての鬼女の能面が、まず思い浮かぶ。

「源氏物語」で、葵の上が六条御息所の嫉妬心に悩まされ、その生怨霊にとりつかれた時、般若経を読んで怨霊を退治したので、般若が面の名前になったと云われる。

しかし、これは、これだけの話し…。
本来、「般若」は仏教で言うところの「智慧」のことを云う。
知恵や知識が備わった上で、悟りに繋がる意味重い言葉だそうである。

じゃあ、お寺さんでよく言われる「般若湯(はんにゃとう)」は?

それは、この智慧をもたらす湯ということで、戒律上、飲酒が禁止されていた僧達が考え出した用語らしい。

泡般若(あわはんにゃ)ってのもあるそうである。
秋になって、泡般若が美味しい季節ももう終わったのではと思われる。

般若寺を後にして、もう少し奈良方面へ進む。

すぐに、左手に入る車道が現れる。
柳生街道である。
この道は剣豪の里柳生に至り、その先は月ヶ瀬の梅林を経て伊賀の国に至る街道である。
これは自動車道であるが、少し南の春日神社の裏の森の辺りを出発点とする徒歩専用の旧柳生街道もある。
旧街道は東海自然歩道の一部ともなっている。

夕日観音、朝日観音、首切り地蔵、そして古刹では円成寺などが有名であり、ハイキングコースとしては最適であろうか…。
忍辱山(にんにくせん)円成寺は聖武・孝謙両天皇の勅願により、鑑真の弟子にあたる僧・虚瀧(ころう)により開創された真言宗御室派の寺院で、国宝・重文が多数存在する。

実はこの車道の柳生街道、小生らはゴルフ銀座と名付けている。
街道に入る手前、そして街道沿いに多くのゴルフコースがあり、よく利用させてもらっているからである。

ゴルフなので重いバッグを抱えて歩いて行くことはできない。
いつも車で、木津から奈良坂に入り、時間のある時はそのあたりの練習場でその日の調子を占い、向かうのである。

もう100回以上は通っているでろう…。
ゴルフ、奈良坂、柳生街道、の図式が出来上がっている。

しかし行きはよいよい、帰りは恐い…。
帰り道は反省街道となるのが常である。

さしづめ奈良坂はゴルフ坂であろうか…?

〔完〕